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天璋院篤姫
天璋院篤姫 (上)天璋院篤姫 (上)
(1984/09)
宮尾 登美子

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天璋院篤姫 (下)天璋院篤姫 (下)
(1984/09)
宮尾 登美子

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薩摩藩島津家の分家に生れた篤姫は、学問好きな闊達な姫。藩主島津斉彬はその聡明さと人柄に惚れて養女とするも、その後、篤姫を京都の摂関家、近衛家の養女とし、13代将軍家定の正室として江戸城に送り出した。子どもの頃より利発な篤姫は我が身の栄誉に期待と不安、憧れをもって望んだ。

しかし夫となる13代将軍家定は病弱のうえ気難しく、およそ政事には不向きな人物。けれども篤姫は夫に実家の兄を重ねて合わせ愛おしむように理解に努めた。城は家来で溢れてはいるが、将軍ほど孤独なものはなかった。その孤独感を篤姫は理解した。そんなおりの突然の家定の死。一度の交わりもない名ばかりの妻、21カ月の夫婦、篤姫は23歳で後家となった。

夫の死後に見えてきた養父斉彬の野望、わが身の出世、すべては養父の謀略の手段であった。しかしこの時、既に篤姫には徳川大奥を預かるものとして、実家とは決別し徳川の人間として生き抜く覚悟が定まっていた。

14代将軍家茂の名目上の母として、皇妹和宮の降嫁を迎え、篤姫は25歳で姑となるも、身分も気位も高い和宮とは心がかよわず、京風、江戸風と争いごとの絶えない日々。重なる困難の中、篤姫は大奥を預る総帥として振い立つも家茂は急逝。擁立された15代慶喜による大政奉還、江戸城明け渡し。変遷する世にも、篤姫はひたすら徳川宗家のために力の限りを尽くす。

養父斉彬の陰謀を知ってから後の篤姫の姿は、大奥を統帥する使命に燃え、凛として清々しい。天璋院、48歳の多難な生涯は残酷で不合理なものであったが、その死を悲しみ弔問に訪れる人の数はおびただしく、天璋院の人となりを世に知らしめた。


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コメント
篤姫
今年の大河では不覚にも何度か涙をこぼしながら見ていました。
実際はもっと過酷だったんでしょうけど・・・
興味深いですね。。。ドラマを見た人が改めて本を読む・・ってのも良いかも・・ですね。
ポチッ
[2008/12/04 11:29] URL | 天邪鬼マインドのくぅ #3/VKSDZ2 [ 編集 ]


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