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「ふーこ」

Author:「ふーこ」
読んだ本や生活のことなどを、
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ファースト・プライオリティー
ファースト・プライオリティーファースト・プライオリティー
(2002/09)
山本 文緒

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「ファースト・プライオリティー」

山本文緒さんの「日々是作文」のなかに「どうしてあなたはそこにいるのか」という一文がある。そのなかで、「変な人だと思われるより、私は時間を無駄にする方が今は恐い」と書いている。そして20代に納得できないながらも疑問をいだきつつ行ってきた社会のルールに対して、「いやなら、べつにやらなければよかったのだ」。人生は短い。本当に一瞬だ。時間は無限ではない。くだらないと思うことに、その限りある時間を取られるのは悔しい、と。また「自由の練習」には、大学生活の4年間で身につけたことは「やりたくないことはやらない、やりたいことをやる」ということだったとある。

そういう山本さんの「31歳の31通り最優先事項」である。

冒頭の「偏屈」には、とても共感するところがある。職場では誰しも内心はちがうけれども「はい、はい」と、二つ返事で素直に微笑んで仕事も雑用までも引き受けてしまう。うんざりしているにもかかわらず、いつも誰でも何でも受けいれていますという看板をはずせない律儀な20代の姿がある。

そんな曖昧でどうでもいいことに見切りをつけ、「いやなら、いや」と言葉にも態度にもあらわす。つまり31歳は開き直っているともいえる、が、ちょっと違う。やるべきことを見つけた彼女にはそんなことにかまけている時間が勿体ないのだ。それは有限の時間を自分らしく生きようとする意志表示なのだ。

読んでいて気持ちがいいなあと思う。思い当たる節もたくさんある。考えるところもある。人間関係を円滑にするためのルールに目くじらをたてることもないけれども…。現実にはこうは言えないだろうと思う。だからこそ、読んでておもしろい。


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母と旅した900日
母と旅した900日母と旅した900日
(2008/02/28)
ユ ヒョンミン王一民

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「母と旅した900日」

中国最北端からチベットへ向けて、99歳の母と74歳の息子が旅した900日、3万キロの記録。
親を大切にするということが、どういことか、わかります。

王一民さんは、母と中国の最北端、黒龍江省塔河で暮らしている。一民さんの母は、朝起きて寝るまで小さな体を頼りに土を耕し家族の生活を支えてきた。母の人生が残り少ないことを悟った一民さんは、家族が食べるためにだけ働いてきた母を幸せにしたいと考えていた。どうしたら母が幸せにおもってくれるか。母の望みは何か。どんな願いでも叶えてやりたい、思い悩んだすえ、一度も土地を離れたことのない母に広い世界をみせてやりたい。母とともに旅することを決意した。

なけなしのお金で自転車につけるリヤカーを作った。母に乗ってもらうためだ。高齢の母を気づかい無謀だと言う人たちもいたが、母は乗り気だ。母に大きな喜びが与えられるなら、母の幸せのためなら、どんなこともできる。遠くても母が望むならチベットへも行く。母がそばにいてくれるだけで勇気がわいてくる、だから大丈夫だ。

「休み休み、行こう、この世に急ぐことはひとつもないね」土とともに一生を生きてきた母には種が芽生えて実を結ぶまでの速度、その自然の速度が真理で人生観だ。

「つねにこの世のもの、すべてを愛さなければ」打算的にならず、恩恵を期待せず、目前にあるものをありのままに愛すること、それが一民さんが苦しい日常から得た悟りだ。

母とふたりの旅がどれだけ楽しく幸せかということだけが重要だ。母の幸せそうな姿を見ることが自分の最高の幸せ喜びだ。二人の旅はそんなふうに続いていった。彼の中には親孝行ということばもない。息子としての当然の行為だった。それがマスコミの知るところとなり、世間に知れ、親孝行と喝采され望まないものを与えられても居心地がわるいだけだった。

母が楽しそうに笑う。彼の食事を美味しいと食べる。母の機嫌が良い。それが彼の満足、幸せだ。



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冬の標
冬の標冬の標
(2002/12)
乙川 優三郎

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「冬の標」


「もっともっと自分を見つめて丁寧に生きろってこととちがいますか」(p177)
「どう生きたところでわたくしの一生です。あなたはあなたの一生をいきなさい」(p304)


武家の娘、明世は13歳の頃から画塾に通い、一時は絵の道を志したいと希望をいだくが、世間の仕来りが道徳の親には到底許せる筈もなく、親の決めた三百石の武家に嫁ぎます。しかし夫は若くに亡くなり、その後、舅も亡くなると、嫁家は零落。幼い長男と姑を抱える困難な生活を強いられるます。けれどその間も、明世の絵に対する情熱は失われることなく、絵にたいする情熱が思うに任せない日常を生きる支えとなります。

「もうおのれをたのむしかない、好きにしなさい」病臥し他界した父の遺した言葉は、今となっては明世に対する詫びのようでもありました。「好きにしなさい」。家を背負ってしまった今となっては好きにできるわけもなかったのです。が、絵への思いは捨てることのできるものではありません。18年を経て、今度こそは自分の力で絵の道を進んでいこうと決意します。

明世のまっすぐな絵へ情熱と覚悟。師である葦秋が語る絵についての見識、弟子たちに接する姿。家という壁も歳月をも越えて心を通わせる画塾の友人、修理と平吉。18年振りに再会した3人の会話、絵に対する熱く深い思いが伝わってきます。



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生きる
生きる (文春文庫)生きる (文春文庫)
(2005/01)
乙川 優三郎

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「生きる」

☆生きる
恩義ある主君の歿後、家老に殉死することを止めら切腹が許されず、卑怯もの、臆病もの、恩知らずと罵られ、辱めを受けながら、生き続けなければならない武士の苦しみ。娘の夫は殉死、心労が重なり妻は病に倒れ亡くなります。武士に与えられた生きることの厳しさ。これに耐えて、生きぬくことのできない息子は自害。同士である友人は断食して餓死。しかし、よくよく考えてみればどれもこれも自分が選択してきた生ではないか、自身の不甲斐なさに対する悔恨。ひとり残された武士に絶縁していた娘と孫との再会。最後に、ほろり、とします。

☆安穏河原
「こういうことになったが何も悪いことはしていない、おまえも、これからどんなことがあろうとも人間の誇りだけは失うな」
妻の薬代を求めるために娘を身売りさせた武士が娘を送り出したときの言葉である。その娘が気がかりで知りあいの若い男に金を用意して女郎屋へ通わせ様子を伺わせる。武士の娘として育てられた女郎は父の教えを忘れず、人へ施しこそすれ物乞いもせず、清らかに生き、自分の娘にも武士の誇りを教えて死んでいった。武士との約束を果たすため娘を捜していた男が見つけたのは、「おなか、いっぱい」という夜鷹の子どもだった。この言葉に涙が止まりませんでした。

☆早梅記
野心のために心を通わせ苦楽をともにしてきた足軽の娘と別れ、筆頭家老に上り詰めた武士が妻の死を迎え、隠居の身となったときに思い出すのは、若き日に別れた娘のことだった。そして偶然にも再会の折りに見た娘は貧しいが豊かに毅然とした日々を過ごしていたことを知ります。

「生きる」の奉公人のせき。「安隠河原」の双枝。女郎の身ながらも誇りを持って生きる気高さ。「早梅記」のしょうぶ。生まれは貧乏ながらも地に足のついた生き様。娘の主人に対する深い思いやり。娘たちの自身に課した厳しさ、潔さ、一途さ、が魅力的です。


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趣味は読書。
趣味は読書。趣味は読書。
(2003/01)
斎藤 美奈子

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「趣味は読書。」

斎藤美奈子さんのベストセラー書に対する小気味よい書評。愉快痛快爽快、笑えました。

一冊目の「大河の一滴」(五木寛之)、実はタイトルからして小説だとばかり思っていました、これを読むまでは。「心にしみるいい話」がいっぱいのエッセイ集だったとは。それだけでもう驚き、初めからガーンとやられた気分です。そして、この本のメッセージは、<そのままでいいがな/みつを><ともかくここに生かされている/みつを>。だから、この本を読むのも面倒な読者は相田みつをの『にんだもの』を買うべしと。

「寄りかからず」(茨木のり子)、この詩を読んだとき覚える違和感を斎藤さんは、
相当にヤな詩だよ。っていうか私たち凡人は、もともとどんな<思想>にも<宗教>にも<学問>にも<寄りかか>ってなどいないのだ。「寄りかか」ろうにも、ハハハ、学んでないんだから。それなのに自らの不勉強を棚に上げて、<できあいの>というマジックで人類の英知を根こそぎ否定し、<もはや>のリフレンで、さもそれが「試行錯誤の末に到達した心境」であるように粉飾し、さらには<長く生き>たのを楯に<なに不都合のことやある>とか開き直ってのがこの詩なわけよ。ったくもう。ありがたすぎるぞ、怠け者には。(中略)女性詩人の頑固じじい賛歌と手厳しい。そして、中高年のみんながこの詩に感化されて、不都合はない、格別支障もないと好奇心も向学心も放棄してしまったらたら、どうなる。そんなことになったら、ボケて結局、家族に寄りかからなければならなくるんじゃないの、と心配するのである。

「光に向かって100の花束」(高森顕徹)みんな目を醒ませ!
花束も、腐っていれば、ただのゴミ
なぜ売れる、これが続けば、書の破滅


という調子で41冊を批判します。

本書のささやかな発見は、圧倒的な勝者に見えるベストセラーも、他業種に比べたら些細な勝利でしかなく、それに一喜一憂したところで世の中べつにかわりゃしない、ということだろう。そんなもんですよ、本なんて。それならせめて、活字を愛する少数派同士、みんな仲良くしないとね(と最後に善良ぶってみる)この「あとがき」にも、最後にニヤッとされられましたね。

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むこうだんばら亭
むこうだんばら亭むこうだんばら亭
(2005/03/23)
乙川 優三郎

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「むこうだんばら亭」

孝助と、孝助に身請けされた、たかが切り盛りする居酒屋「いなさ屋」は、銚子の東端「とっぱずれ」といわれるダンバラ波の逆巻く漁港にあります。利根川の水と海がぶつかって生まれるダンバラ波の立つ川口は美しく豊かでありながら、難所で、いつでも人を呑み込む恐ろしい海です。

他に行くあてのない境遇を背負った女たちが一縷の望みをたくし「いなさ屋」にたどりつきます。不遇な状況からはい上がろうと、なんとか自分の力で生を全うしようと挑み、もがきながら、しぶとく、したたかな知恵をつけてゆきます。ぎりぎりのところで生きざるを得ない女たちの姿に哀れさはありません。自分をさらけ出して生きる姿に、潔ささえ覚えます。
8つの連作短編集、中でも「古い風」「果ての海」が印象深いです。

☆行き暮れて
☆散り花
☆希望
☆男波女波
☆旅の陽射し
☆古い風
☆磯笛
☆果ての海



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霧の橋
霧の橋霧の橋
(1997/03)
乙川 優三郎

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「霧の橋」

乙川優三郎さんの作品は、気持ちを深く掘り下げ、すくいあげるように丁寧に書き込んでいるところに共感させられます。どんな境遇の男女を描いても清涼感が漂っているところ、ひたむきに生きようとする健気な姿に心が洗われます。「人間っていいなあ」と、思える、気持ちのいい読後感を味わえるところが魅力的です。

主人公の父は、密かに思いを寄せていた女将を助けようとして乱心した友に斬られ命を落とします。父の死によって、兄は自害、一家は離散してしまいます。次男である主人公は10年の放浪の末、父の仇を討ちます。その後は武士を捨て商人の婿となり商売に精を出しますが、刀は捨てても、生まれついた武士の気持ちは簡単には捨てられるものではありません。次第に商人としての才覚を現しますが、大店との間の軋轢に苦しみます。また、武士としての気持ちを捨てきれず、悩みます。そんな夫に妻は不安を持ち、恐いとさえ思い始め、夫婦の溝は深まっていきます。互いに思いを寄せながら率直に語ることのできない夫婦の細やかな機微が切実に迫ります。そんな折、父が命をかけて救った女将が一家を翻弄させた事実を知り、憤りを押さえることができません。


「長い一生のうちには、覚えているよりも忘れてしまったほうがいいことのほうがたくさんあるんじゃないですかね、ただ漠然と生きてきたようなわたしにだって、そりゃあたくさんありましたから…」

父を死に至らせた過去の事実を許したとき、怒りも憎しみも消え、霧の橋の向こうから新しい日の光が射して見えます。妻の姿とともに…


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えらい人はみな変わってはる
えらい人はみな変わってはるえらい人はみな変わってはる
(2002/06/18)
谷沢 永一

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「えらい人はみな変わってはる」

おミエーさんは、たれによませる積もりで、著述なんかするのか。
と問われて。予はその態度や言葉使いにむっとしたが、怒気をおさえ、襟をだだし、厳然として、
大方の識者にみせるため
と答えた。すると先生は
馬鹿ものめ!猿に見せる積もりで書け。おれなどはいつも猿に見せる積もりでかいているが世の中はソレで丁度いいのだ。
(「猿を相手に書け!」福沢流説法)

福澤諭吉は、鼻糞をほじくるのが癖だった。門下生はその癖を真似するものさえあった。横睨み、これが一番目立つ癖で、欠点だった。人の肝胆を見破りそうな目つきをして、横目に人を睨む。見慣れない人は変だなあ、と思っているのだが、このいやな癖さえ真似をして得意がっている門弟子がいた。
また、長所か欠点かわからないが、常に思いきったことを言い、大奇言を吐くのが好きで、人間は何でもでしゃばらなきゃ駄目だ、とか、おしゃべりでなきゃ駄目だ、巧言令色が肝心だ、などという。(福澤諭吉の癖)

我が国の経営者で最も多くの著作を残したのは松下幸之助だろう。生前46冊。歿後45冊に達す。すべて口述されたものであるが、古今の典籍の引用がほとんどない。幸之助の一生は経験と直感にもとづく創意工夫の積み重ねであった。それによって学問をしなくても経営の極意を覚えることができた。書物を通じて学ぶ必要のなかった人である。(松下幸之助の見るところ)

およそ高橋克巳は作品を書くこと以外、何も考えられない人だったと妻の高橋たか子が回想している。結婚当初、高橋は無職、たか子が家庭教師のアルバイトをして生活を支えていた。貧乏のどん底だった。彼は妻の働いていきた月謝袋を自分のポケットに入れ「温泉へ行ってくるわ」と出て行く。「後姿を見ながら、私は涙がでた。なんとかわいそうな人だろう。他人の心がわからないのだ」。妻が語る夫の姿は悲愴だ。(作家になるために生まれて…高橋克巳)


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シズコさん
シズコさんシズコさん
(2008/04)
佐野 洋子

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「シズコさん」

佐野洋子さんと実母との内面の葛藤を綴った愛憎物語。
それ以外に道はなかった。肉親は知らなくてもいい事を知ってしまう集団なのだ。家族だからこそ互いによくも悪くも深いくさびを打ってしまうのだろう。私は母を好きになれなという自責の念から解放された事はなかった

洋子さんは母さんが呆けてしまうまで、母さんの手にさわった事がありません。それは、四歳位の時、手をつなごうと思い、お母さんの手にふれた瞬間、チッと舌打ちされ手を振りはらわれたからです。洋子さんはその時に、母さんと二度と手をつなぐまいと決意したのです。以来、洋子さんとお母さんとの冷たい関係が始まります。そして、自分は母が好きになれない、という負い目に苦しみます。

高い老人ホームに入居させながら洋子さんは、私は母を金で捨てた。愛の代わりを金で払ったのだといいます。母への憎しみの代償だとも。母を愛していたら、私は身銭を切らなくても平気だったかも知れない。けれども、母を愛さなかったとう一点をぬぐい去るため、「愛」以外のものは全て満たされている最上級のホームを選ばざるを得なかったといいます。

あんな母の面倒など見てられるか。子どもの頃に母から受けた数々の仕打ちが洋子さんを憎しみにかりたてます。親を大事に思いたいという気持ちと憎む気持ち、自分の内面をみつめては苦しみます。けれどもこの気丈な母親だからこそ、父亡き後、4人の子供を大学まで育て上げることが出来たのだとも思っています。

老人ホームに入った母さんが「どんどん素直になってかわいい人になった」時に、母と娘に和解の瞬間が訪れます。

正直に語られる母娘の対立、そして和解…、親として子として考えさせられます。




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この世には二種類の人間がいる
この世には二種類の人間がいるこの世には二種類の人間がいる
(2007/03)
中野 翠

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「この世には二種類の人間がいる」

中野さんは世間で言われている「勝ち組」「負け組」と言う言葉がどうも好きになれない。金持ちと貧乏というほうがまだましだと思っている。「この世には二種類の人間がいる」というタイトルをつけながら、そんな分類が好きになれないし、実はそんなふうには全然考えていない。看板に偽りありと言って憚らない。当然、人間はもっともっと多彩で曖昧で複雑なものと考えている。だから、人を評するに「――タイプ」「――系」等の言葉で分類することは不自然だと思っている。その不自然さに対する不満がこのエッセイーを書かせたと中野さんは言っている。

中野さんが人と接して、面白いなあと思うのは、あくまでも個人のもつパーソナリティ。キャラクターだ。重視するのは人の性格とか生理とか性癖といった部分で、金持か貧乏か、男か女か、一人者か家族持ちか…などの身にまとっている服を取りのぞいた部分。裸のほうに面白味を感じる。身に付けるものはたくさんあって、似たものもあるだろうけれど、その下の裸は一人一人違い、裸のほうが断然「個性的」に違いないと思っている。

そんな中野さんがあえて「二種の人間」に分類したのは、人間や社会をいろいろな角度から見ると「二種類の人間」という分類が無限にあり、そのどこかに自分自身の姿や読者の姿を浮かび上がらせることができるのではないか、と考えたからだ。そして、その作業は中野さんにはとても楽しいものだった。だから自身で絵も書いた。作者が楽しく書けたエッセイーが面白くないはずがない。その真髄は読み手にも心地よく、軽快に響く。以下の章を格別に興味深く味わいました。

☆それを「キチッと」と言う人と「ザッと」と言う人だ
☆それは根っこの長い人と短い人だ
☆それは皿の裏を気にする人としない人だ
☆それはひっそり消えたい人とハデに退場したい人だ
☆それは基調音の高い人と低い人だ
☆それは山の人と谷の人だ
☆それはハゲシイ人とユルイ人だ



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みんないってしまう
みんないってしまう (角川文庫)みんないってしまう (角川文庫)
(1999/06)
山本 文緒

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「みんないってしまう」


みんないってしまうんだな。私は小さな自分の一人の部屋をながめてそう思った。この手の中に確かにあったと思ったものが、みんな掌から零れ落ちてしまった。

永久に続くのかと思ったもの。初めての手痛い失恋も、幸せだった新婚時代も、子育ても、夫の帰らない孤独な夜も、郊外の家での延々と続いた日常生活もみんな過去になった。

ひとつ失くすと、ひとつ貰える。そうやってまた毎日は回っていく。幸福も絶望も失っていき、やがて失くしたことすら忘れていく。ただ流されていく。思いもよらない美しい岸辺まで。(みんないってしまう)


この12の短編のテーマは自分の手にあったものが、失われていく物語だ。流れていく日常で失っていくものは様々、数限りなくある。死がもたらす決定的な別れだけではない。人間関係のもたらす恋人や友だち、肉親との別れいったものとも限らない。

「いつも心に裁ちバサミ」では人としての優しい感情である。「ハムスター」では人様にほめられなければ充実しない生き方である。「片恋症候群」では恋人を手に入れるため捨てるプライドである。「愛はお財布の中」では突然のアクシデントから人としての大事な部分が欠落してしまう。

誰もが過ぎていく日常の中で意識するしないにかかわらず確実に何かを失っている。毎日、何かを選択し何かを失っている。新しいものを手にいれるために古いものを捨てるように。それは生きることに伴う痛みでもある。

ここに描かれている喪失の物語は、普通の私たちの周りに起こりうる些事であるが、それは軽くない。重いテーマをさらりと軽く語り、心にピタリと重なる部分がある。失うことは、そこにまた新しい何かが入り込むことでもある。その摩擦が読み手の心をゆさぶる。面白い、というだけではない何かを心に置き、問いかける、そんな魅力がある作品だ。



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HHKスペシャル「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI米軍カメラマンの苦悩原爆の真実
HHKスペシャル
「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI米軍カメラマンの苦悩原爆の真実」

久しぶりにテレビを見た。それはアメリカ人カメラマン、ジョー・オダネルさんが撮った一枚の写真から始まった。オダネルさんはアメリカ軍が長崎に投下した原爆の破壊力を記録する占領軍のカメラマン。軍の規則で日本人の生活などは一切、撮ってはならないとされていた。けれども彼は原爆の記録写真を撮りながら、自分のカメラで密かに30枚の写真を撮った。日本人の子どもたちを写した。冒頭の写真はその1枚だった。

帰国後、オダネルさんは長崎の記憶を忘れ去ろうと撮ってきた写真やネガを自宅の屋根裏部屋のトランクに入れて、家族の誰にも開けることを許可しなかった。43年間、写真は眠っていた。

しかし、オダネルさんの長崎の記憶は薄れることがなかった。晩年、トランクを開けたオダネルさんは長崎への原爆投下の悲劇を周囲の非難の声を浴びながら訴えた。

「あの子どもが、何をしたというのだろう…」
「あの子どもの母親が一体、何をしたというのだろう…」

残された録音テープは静かに語っていた。目を閉じ、心を閉じ、時間をやり過ごしても忘れ去ることのできない、真実を伝えざるを得なかったオダネルさんの切なく哀しい思いを…。

ジョー・オダネルさんは去年8月9日、亡くなった。

☆皆さんに、是非、見ていただきたい作品です。



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恋のトビラ
恋のトビラ恋のトビラ
(2008/05/01)
石田 衣良角田 光代

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「恋のトビラ」

石田衣良、角田光代、嶽本野ばら、島本理生、森絵都、人気作家による短編集。

☆「卒業旅行」(角田光代)
 短大生、さくら、夏乃、わたし(羊子)は、学生最後の記念にネパール、カトマンズ、ポカラへ2週間の卒業旅行に出た。旅から四日目、同じ行動をしていた彼女たちが今日から別行動にしようという。好奇心と行動力にあふれた二人は元気に出かけていく。毎日子どもみたいに嬉しそうに別々に。けれど、わたしはできない。ホテルの近辺を歩いたり、ホテルの窓から路地裏をながめることしかできない。わたしは怖くて外に出られず萎縮していた。彼女たちが別人のように見えた。
でも、ホテルの窓から見おろす、なんにもないと思っていた路地裏で、わたしは、ヒラタさんを見つけた。


「知らない町も一日歩けば少し知ることができる。二日歩けばもう少し知る。三日あるけば、もう自分ちの近所と変わりないよ」
「こわくて外に出られなかったら、ホテルにいればいいんだよ。そういう旅もいいじゃない」
「ホテルの窓から外を見ればいいんだよ。一日じゅう外を見ていれば、そこが自分の家と違う。ぜんぜん知らない世界だってことがわかるよ」
「動けなくなったら、目を見開いてただ見るんだ。ずっと見ていると、そこは知った場所になる。知った場所になれば、どう動き出せばいいかがだんだんわかってくる。何があってもおれらはなんにもなくさないってことが、わかってくる」

ヒラタさんの数歩あとを歩きながらわたしは気づく。わたしの前を歩くヒラタさんが、自分の扉を開け放ち、ここはそこから続く庭だと信じているから、この町は静かで平穏なのだ。


☆「本物の恋」森絵都
八年前のたった一日のほんの一時をすごした相手に出会った。彼は、「本物の恋してる?」と問い、「おめでとう」と、お腹の大きな私を晴れやかに祝福した。あのお祭りの夜から数年間、私はどこかで彼を捜し求めていた。あれが最初の「本物の恋」だった、多分。でも、今更、そんなことを彼には言えない。私にも彼にも恋人がいるのだ。

八年前、十七歳の私は、愛することも愛されることも知らなかった。ただ寂しい奴だと思われたくないばかりにいつも誰かを求めていた。そして痛い目に遭っていた。かわら祭りの夜もそんな日だった。

けれども、その日、私は偶然であった彼に「本物の恋」を見せつけられた。彼は私の手をとり身持ちの幸せそうなカップルの後を追った。「最後にしっかりと見納めておきたい」「気持ちの整理をつけないと。じきに子供もうまれるしね」。しばらくしてから、彼は、二人に祝福の言葉を贈った。その時、私は彼の「いい人」恋人となっていた。もう絶対彼らから見えないところにきた彼は、崩れ落ちるようにコンクリートの地面に膝をつき、泣き出した。

男の人にそんな姿を見たのは生まれて初めてだった。
私もこれほど烈しく誰かを愛してみたい。
遊びのような恋ではなくて、孤独をまぎらわすための彼ではなくて――
声を立てずに泣きながら、私は強く、強くそう思い続けたのだった。



最後のどんでん返し、ひねり、呆気にとられというか、笑えました。

☆「初恋」(島本理生)
☆「Fiying Guts」(嶽本野ばら)
☆「ドラゴン&フラワー」(石田衣良)


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100回泣くこと
100回泣くこと100回泣くこと
(2005/10)
中村 航

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「100回泣くこと」

彼女の死とつり合うもの、そんなものはなかった。結局、僕は旅にも出ず、会社も辞めず、ただ酒を飲むだけだった。百日の間、毎晩同じように酩酊するまで飲み、彼女のことを想い、涙するだけだった。初めて、この部屋にやってきた彼女。ふつつかものですが、と言った彼女。固く交わした握手。愛を誓い合った七月七日。再び訪れることのない日を想い、生きている僕に彼女のために泣くことしかできなかった。そろそろ泣くのも酒を飲むのも止めなければならない。そんなことはわかっている。だけど、次の日も次の日も同じように酒を飲み、泣いている。

でも僕にはわかっている、君のいない生活をちゃんとやり始めなくてはいけないということを…。僕は彼女に言った。僕が覚えておくから安心していいよ。それから、スーパーで買ってきた段ボールに彼女のものを詰めていった。

泣いても、飲んでも取り戻せるものではない。でも、過去を引きづり泣かずにはおれない。飲まずにはいられない。僕なりの答えを見出し消化できないうちは、一歩を踏み出せない。僕の心と体が納得するには、時間という薬がもっも必要だった。


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きみにしか聞こえない
きみにしか聞こえない―CALLING YOU (角川スニーカー文庫)きみにしか聞こえない―CALLING YOU (角川スニーカー文庫)
(2001/05)
乙一

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「きみにしか聞こえない」
☆Calling You

わたしはおそらくこの高校で唯一の、携帯電話を持っていない女子高生だ。その上、カラオケにも行かないし、プリクラを撮ったこともない。

携帯電話を持っていない事実は、このまま友達がいないことを表しているようで、ずっと気にしていた。人と上手く喋れないことが不健全であるように感じていたし、友人を作れない自分はできそこないのように思えていた。

いつしか自分の携帯電話を想像するようになっていた。


リョウの想像から始まった携帯電話が繋がった。携帯の向こうから聞こえてくる若い男性の声。
頭の中で携帯電話をとる。頭の中で切る。頭の中でつながったのは同じような悩みを抱える高校生のシンヤ。そして大学生のユミさんだった。

リョウとシンヤは頭の携帯電話で話し,お互いの悩みを打ち明け、寄り掛かり、孤独を癒した。それから、二人は同じテーブルに座ってコーヒーを飲みながら話すことは二人にとても意味のあることに思われた。彼らは実際に会うことを決めた。
そんな二人を待ち受けていた現実は衝撃的です…

他2編
☆傷-KIZ/KIDS-
☆華歌

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最後の授業
最後の授業 ぼくの命があるうちに最後の授業 ぼくの命があるうちに
(2008/06/19)
ランディ パウシュジェフリー ザスロー

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「最後の授業」


最後の講義は録画されることになっている。僕はその日、学術的な講義をするふりをしながら、自分という人間を空き瓶に詰め込み、海辺に流れ着いたその瓶を子どもたちが拾う日のことを考えていた。僕が画家だったら、子供たちのために絵を描くだろう。ミュージシャンだったら曲をつくる。でも僕は教師だ。だから講義をした。

僕は人生の喜びについて語り、人生を――僕の人生はほんの少ししか残されていないけれど――どんなふうに楽しんでいるかについて語った。誠実さや率直さや感謝など、僕が大切にしているものについて語った。そして、僕の講義を聴きに来てくれた人たちを退屈させないように、かなりがんばった。(中略)

はじめからわかっている。この「講義」のどれも、生きている親のかわりなどならない。でも、大切なのは完璧な答えではない――限られたなかで最善の努力をすることだ。最後の講義でもこの本でも、僕はそのとおり努力した。

夢を叶える道のりに障害が立ちはだかったとき、僕はいつも自分にこう言い聞かせてきた。レンガの壁は、僕の行く手を阻むためにあるんじゃない。その壁の向こうにある何かを自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているんだ、と。


「最後の授業」には、小さい頃から夢をかなえてきた著者の前向きな姿が溢れていて魅力的です。けれどもそれは、夢をどのように実現させるかという話ではありません。人生をどのように生きるかという話です。彼は言います。「人生を正しく生きれば、運命は自分で動きだします。夢のほうから、きみたちのところにやって来るのです」

「最後の授業」は、講義を聴くために集まった人々にのみ語られたものでは、ありません。幼い3人の子どもたちと愛する妻に贈られた物語です。生きることの限られた父親が、彼らを愛する気持ちを子どもたちに感じてほしい、とのこした強烈なメッセージなのです。


「最後の授業」1


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