「人間力」 人間は、職種や地位や出身校や勤め先や、家系や邸宅や財産や親類など、要するに、外なる物、によって身を飾る。しかし、人間力は微頭微尾、人間の内から発した美徳の結実である。男であると女であるとを問わず、あらまほしきは、人間力、ではなかろうか。
〜人間力をかたちづくっている条件〜
毅然として、自尊心を精神の基軸としている。名刺に頼らぬ自主自立の構えで行く。何時でも辞表を出す決意を固めた。最新情報機器の更に奥深い機能を開発する。無駄な本は読まない。社内社外を問わず多くの知己を得た。その人たちが揃って好意をもってくれる。家庭の平和親和にも努めて。誰に対しても暖かく接する。会社に思わぬ危機が訪れたとき、真っ先に身を挺して奮闘した。度胸が据わっているとの評判が立つ。常に明るく振る舞い、かりそめにも陰気な顔を見せない。悪口は慎しむ。こうして周囲から信用され頼りにされるになった。これで宜しいかな。
いや、まだ足りない。何時でも重大な使命を果たせるように、気力が充実している存在感を与えるよう、精神力を鍛えねばならぬ。彼が其処にいるだけで、何が起こっても安心だと、皆が思う程になるべきだ。彼と飲む酒は美味い、と言われるような、陽気で気のきいた話題をいつも仕入れておく。
以上が、個人の意志で為し得る限界であろう。あとひとつ、重要な条件が残っている。それは、可愛げがある、と評されるに至ることである。これは人間に対する最高頌辞であるかもしれない。ひとつには、持って生まれた天性に拠る。ふたつには、神の計らいで知らぬ間にそうなる。可愛気のある人間になれる否か、神に任せるしかないであろう。↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「樋口一葉」
彗星の如くあらわれ消えた樋口一葉の全体像を本書から学びます。七つというとしより、草草紙というもののを好みて、手まりや羽子をなげうちよみけるが、其中にも一と好みけるは英雄豪傑の伝、人侠義人の行為などの、そぞろ身にしむ様に覚えて、凡て勇ましく花やかなるが嬉しかりき。かくて九つ斗の時よりは、我身の一生の世の常にて終わらんことなげかわしく、あはれ、くれ竹の一ふしぬけ出てしがな、とぞあけくれに願いける。されども其のころの目には、世の中などいうもの見ゆべくもあらず、只雲をふみて天にどどかむを願ふ様成き。その頃の人はみな我を見ておとなしき子とほめ、物をぼえよき子といひけり。父は人にほこり給へり。
○九歳ですでに自分の一生と自分というものを見据えていたんですね。普通の人と同じように終わりたくない。優れたものになりたいと朝に夕に願っていた、といいますから。
十二といふとし学校をやめけるが、そは母君の意見にて、「女子にながく学問をさせなんは行々の為よろしからず。針仕事にても学ばせ、家事の見ならひなどさせん」と成き。父君は「しかるべからず。猶今しばし」と争ひ給へり。「汝が思ふ処は如何に」と問い給ひしものから、猶生れ得てこころ弱き身にていづ方にもいづ方にも定かなることいひ難く、死ぬ斗悲しかりしかど学校は止めになりけり。それより十五まで家事の手伝ひ裁縫の稽古、とかく年月を送りぬ。されども猶夜ごと夜ごと文机にむかふ事すてず、父君も、又我が為にとて、和歌の集など買いあたえたまひけるが、終に万障を捨てて更に学につかしめんと給ひき。
○一葉が進学しなかったのは母親の考えによった。父親は学問を続けさせたかった。家事修行にあけくれる一葉に父は和歌の集などをあたえたりするんですが、結局、進学させようと決めた。
☆萩の舎の授業
ひるまへのほどは、おのおののえらびにまかせんとの給えば、おのがじしとふて給ひて、「あなにくや、雑題ぞ出たり。わらはは、梅の御題ぞとらまほし」「われは桜」「いな、柳」と皆々えらび給いて最後にぞえらびせたまふ。「君は月か花か」との給ふに、「いづれもいづれも、続出難くこそ覚へ侍れ。只探り取しを」といいつつ、み侍れば、「朝雲雀」てふ御題にてぞ有けり。人々は、よみ給はぬものも多かりけり。わらはは、さし次の点取侍りぬ。点取りの御題には「月前の柳」てふ也けり。おののきおののきよみ出しに、親君の祈りにてやおはしけん。天つ神の恵みにや有りけん、まろふど方は六十人余りの内にて、第一の点恵ませ給ぬ。(「身のふる衣 まきのいち」明治20年2月21日)
「朝雲雀」
うちむれて春野にくればいつしかとあがるひばりの声ののどけさ
「月前柳」
打ちなびくやなぎを見ればのどかなるおぼろ月夜も風は有りけり
☆萩の舎の授業
一日、例のまどいに「風前薄」という題給はりぬ。おのれかくなむ。
野辺みれば薄の外の色もなし千草の花は風にかくれて
師の君、披講の折の給ふ、「此歌生死に関する文字一ツあり。猶考えみよ」との給う。
あまたたびみもてゆけど、えみしるべくもあらず。さての給ふ、「結句「しかれて」とはなどいはぬ。かくいはば、いとめで度かるべきを」となん。
のべみれば薄の外の色もなし千草の花は風にしかれて
其折、小がさ原君、「あら吹風にはいとどみだれけり」とよみ給ひしに、さては実際に違へりとて証歌あげ給う。
一方になびき揃いてしの薄あらき風にぞみだれざりける
となむの給へりし。(「筆すさび一」明治24年8月1日)
「風前薄」
野辺みれば薄の外の色もなし千草の花は風に敷かれて
ひとかたになびき揃いて篠薄あらき風にぞ乱れざりけり(小笠原艶子)
○師匠はあいまいな描写を許さない。物事を正確に描写しようとする人だった。。
☆姉弟子への憧れ
花圃女子田辺竜子君は、ことし廿四斗成るべし。故の元老院議官、今金鶏の間祇候太一ぬしの一人娘におはしまして、風采容姿、清と酒をかね給へるうえに、学は和漢洋のみつに渡りて、今昔しのをしへの道あきらにさとり給ひ、書は我師の君いつの高弟にて、「あいよりあをし」と師はの給へり。和歌は天びん、と故伊東祐命うしもたたえ給へりしとぞ。文章は筆なめらかにして、しかも余韻にとませ給ひ、俗となく雅となく世の人もて遊ばぬはなし。其名の世に聞え初しは、君が廿一斗の頃、「藪の鶯」となんいふ小説あらはし給ひしより成りけり。(中略)打ちむかひ参らする折は、をかしき滑けいものがたり、洒落の談話のみさせ給ひて、人のおとがひをこそはとけ、恐ろしいなどおもはするけは、いささかもおはさざるこそ、いと有難きけれ。おのれは当時の清少納言と心のうちにはおもひぬ。(「筆すさび一」)
○一葉は花圃に憧れつつ畏敬していた。強い関心を抱いていたんですね。
☆花圃が一葉に宛てた手紙
この上の願いは、万事御勉強ありて、後世にも残るべきもの御著しあり、当代の紫式部とも清少納言とももてはやされ給わん事に御座候。しれる友の、世を早くし候も、今残れるも、いささかその事につきてよにしられ候があれど、これはた未だおもふやようにはあらぬのみ。わたくしは、一番君におもきをおき居候に御座候。何とぞ何とぞ、ただなぐさみなどという、私くしのやうなのは、極々極々あしき事故、一生懸命に御成遊候て、御心を高潔に、おもいをこらし給ひて、よの中の女といふものの名誉をも御起し被下度候。(中略)おぼし見立し事ならば、決して決して、御中絶被遊間敷く、事によりては、あしき比喩ながら、「毒くはば皿迄」とやら。すすみにすすみ給はん事、願はしく候…。
○花圃が後輩一葉に宛てた励ましの手紙には「毒をくはば皿迄」という言葉まであり、一葉の文学的才能に熱烈なエールをおくっている。
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「水曜の朝、午前三時」
残された4巻のテープには母の愛が語られていました。若い日に、運命の人とめぐりあい歓びにあふれる姿。絶ちきれない激しい思いに苦悩し挫折する愛の姿が静かな感動で迫ります。
人生は宝探しのなのです。何も難しく考える必要はないのです。そう、楽しめばいいのです。
でも、何によりも重要なのは内面の声に耳を澄ませじっと聞くことです。自分は何をしたいのか。何になりたいのか。人間として、どんな人生を送りたいのかを聞くことです。
私が見つけた宝物は、臼井さんです。彼を見つけたことは何にも勝る私の宝もの。そして主人やあなたという娘を得たことです。40年以上の歳月をかけて。 最後に焼香を済ませた臼井さんは、立ち上がると真っ直ぐにこちらを見ました。彼は初めか私に気がついていたのです。目が合うと、臼井さんは手にしていた傘をほんのすこしだけ上下させました。たったそれだけのことだったけれど、その仕草は私を泣かせるには十分でした。
「今日は遠くから来てくれてありがとう」臼井さんは白い息を吐きながらそう言いました。「成美もきっと喜んでいると思う」
「成美が死んで、年が明けて、年賀状を受け取った時には確かに君を恨んだ。何てひどいことをする女だと思った。だから、出すつもりはなかったのに、あの葉書を出した。でも、葉書を投函し終えた時には、もう別のことを考えていた。直美さん、僕はね、もう一度直美さんに会いたくてあの葉書を出したんだよ」
「さっきの質問ですけれど、臼井さん、あれは私がいま幸せかどうか、ということなんですね」
「直美さん、僕が他の何かを知りたがるとでも思ったの」と彼は言いました。
「僕が知りたいのは直美さんのことだけだよ」
ハンカチを握りしめ、足下の雨水を眺めながら、私は切れ切れの言葉で言いました。
「臼井さん、一度しか言わないからよく聞いて。私はあなたのことが好きでした。いえ、いまでもそうです。それなにの、私はあなたを憎んだり、恨んだりしました。それだけじゃない、最後にはあなたという人を怖がりもしました。あなたが朝鮮人だと聞いて、私はとても怖くなったのです。だから逃げたんです。きっと他の人たちのように。私は間違っていました。だって、毎日、毎晩、叫びだしたくなるんです。もしかしたら…東京にもどってからそう思わない日はありませんでした。もしかしたら有り得たかもしれないもう一つの人生、そのことを考えなかった日は一日もありませんでした」↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「プラナリア」
いずれも温かさ充足感があり気持ち良く読める作品です。『現代の<無職>をめぐる五つの物語」』(働かないってそんなにいけない?)5篇に共通するのは、がむしゃらに働いてきた主人公たちがそれぞれの事情からドロップアウトした姿です。
普通の生活をしている人からみると、「情けない、いい加減、何とかしろっ!」と言いたいところです。けれども作品を読んでいると主人公たちのこの時間がとても充実した大切なものに思えます。自分の内面を見つめるまなざしや他人を思いやる姿にせつなくなります。しばらくは味わっていたい、そんな気持ちになります。↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「海を呼びもどす」
今ほど大学に女性が進学しない時代、ひとクラスに女性が一人ずつしかいない頃の学生時代の物語です。
僕には高校時代のクラスメートである川端彩子、年上でバーに勤めている霧子、大学生、野崎敬子の三人の女性と交際があります。
野崎敬子は法学部でクラスで唯一の女子学生。僕が授業を欠席したある日、男子学生全員で彼女を無視しようという決議がされます。が、僕だけは彼女を無視しないと宣言します。けれども彼女は僕を無視し続けます。 「野崎さん。これは、ぜひとも、伝えておきたいのです。僕は、あの馬鹿な決議に、完全に反対です。僕は、あの決議に、加わりません。僕は、自らを、あの決議から除外します。僕は野崎さんを無視しません。そのことを、ぜひとも、伝えかったのです。」 毎日毎日僕がいっしょに歩きながらひとりで喋っていることを、野崎敬子は、聞いているのだ。僕など最初からどこにも存在しないかのように、彼女は僕を無視している。しかし、そのような無視のしかたには、彼女の側における、無視のためのたいへんな努力を暗示してはいないだろうか。
きっと、そうだ、と僕は思った。彼女、野崎敬子は、フランス語の講義のあと、かたわらをいっしょに歩きながらひとりで喋りかける僕を、じつはたいへんな努力をしていて、たいへん気になるからこそ、あんなふうに見事に、彼女は無視するのだ。 そんな二人の間はなかなか進展しませんが、あることがきっかけで深まります。
そして僕は自分が本当に必要としている相手が敬子であることを知り、敬子の素晴らしさに釣り合う人間になりたいと考えるようになります。僕は二人の女性と別離ます。
敬子は大学三年生の時、司法試験に合格。二人は大学生活最後の年を恋人として充実した日々を過ごします。
学生生活ではこのようなこともあり得るのでしょうか。三人の女性と僕の関係があまりに巧くゆきすぎでは…という印象を受けました。↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「陰の判決」「父の死は、無駄ではなかったのですね」
「そうです。あなたのお父さんが、中西弁護士という冤罪事件の鬼弁護士を生んだのですよ」 父親の冤罪を晴らして欲しいと水木弁護士の元へ村瀬ゆき子が訪れます。13年前の事件、時効まであと2年。父親は既に獄中死しています。水木弁護士は冤罪弁護士として有名な中西弁護士の協力を得て「岩槻事件」に取りかかります。その頃、中西弁護士は「赤石事件」の再審請求をしています。
村瀬善造の無実を調査していくと「岩槻事件」と「赤石事件」が密接に絡み合い中西弁護士の担当する赤石事件の裁判に影響してきます。依頼人が村瀬善造の娘でないこと。中西弁護士の過去。事件は意外な展開をみせ真相が明らかにされます。
正義感と誠実さをそなえた水木弁護士が魅力的です。↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「絆」
「あなたは、知恵遅れに生まれて不幸だったと思いますか?」原島弁護士が別な質問をした。
「いえ、ワタシは知恵遅れだったから不幸だったとはおもいません。ワタシの両親やおねえさん、おとうとがやさしく、ちいさいころ、すんでいた近所の人もとても親切でかわいがってくれました。現在もお店の人たちはとてもいい人たちです。だから、知恵遅れに生まれたから不幸だったと、一度もおもったことはありません」
私はその言葉を聞いてショックを受けた。知恵遅れだから不幸だというのは、私たち健常者のかってな見方に過ぎないのだ。本人は精いっぱいいきているのだ。
「夫殺し」を認めた被告人弓丘奈緒子に対し弁護人原島は無罪を立証します。それは奈緒子にとり自分を犠牲にしてまでも、守らなければならない寛吉の秘密を明らかにすることでした。家族の秘密が公開され精神薄弱児の弟、寛吉の存在が浮かび上がってきます。
法廷記者の「私」は、奈緒子とは幼なじみで憧れの存在でした。弟の寛吉ともよく遊んだなかです。その頃、「私」には、やっと妊娠した妻に障害児が生まれるかもしれないという不安をかかえています。「私」は裁判の行方を見守りながら障害児として生まれてくるかもしれない子について考えます。
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「悪人」
保険の外交員、石橋佳乃が付き合っている相手は土木作業員の清水祐一です。彼女は祐一とホテルに泊まり金をせびっていますが、同僚には裕福な大学生増尾圭吾と交際していると吹聴します。佳乃は祐一の他にも出会い系サイトで知り合った複数の男性と交際しています。増尾に思いを寄せる佳乃ですが彼女に長崎から車を飛ばして会いくるのはい祐一のほうです。増尾をに会うと出かけたた佳乃が死体で発見され物語は始まります。
佳乃の死後に孤独に耐えかねる祐一は光代と巡り合います。孤独な二人は過去を語り互いを必要とするようになります。離れることができない二人はホテルを転々と逃避行をつづけます。
祐一を育てた祖母房枝、娘を殺害された理髪店経営の石橋佳男は世間の誹謗中傷に押しつぶされそうになります。孫を思う房枝、子を思う石橋夫妻は懸命に真実を見つめようとします。
そして、「悪人」は誰だったかを問いかけてきます。「しっかりせんといかんかよ」
「ばあさんが悪かわけじゃなか」
房枝はバスの運転手の言葉を繰り返した。
「しっかりせんといかんよ」
房枝は小さな声でそう自分に呟いた。
逃げとるだけじゃ、なんも変わらんとよ。まっとっても助けは来ん。馬鹿にされてたまるか。がんばらんば。もう誰にも馬鹿にはさせん。馬鹿にされて、馬鹿にされてたまるもんか。
「アンタ、大切なひとはおるね?」佳男の質問に、ふと鶴田が足を止めて、首を傾げる。
「その人の幸せな様子を思うだけで、自分まで嬉しくなってくるような人たい」佳男の説明に鶴田は黙って首を振り、「…アイツにもおらんと思います」と呟く。
「今の世の中。大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っと思いこんで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」
房枝は階段を一段上がった。
何があっても、ばあちゃんはアンタの味方やけん。もう一段上に足を乗せた。
アンタモ、正しいかことしなさいよ。アンタも、怖かろう?でも逃げたら駄目。ちゃんと、正しいかことばしなさいよ。ばあちゃんも、負けんとやけん。↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「夜市」
大学生のいずみは、高校時代の同級生・裕司から「夜市にいかないか」と誘われた。裕司に連れられて出かけた岬の森では、妖怪たちがさまざまな品物を売る、この世ならぬ不思議な市場が開かれていた。夜市では望むものが何でも手に入る。小学生のころに夜市に迷い込んだ裕司は、自分の幼い弟と引き換えに「野球の才能」を買ったのだという。野球部のヒーローとして成長し、甲子園にも出場した裕司だが、弟を売ったことにずっと罪悪感を抱いていた。そして今夜、弟を買い戻すために夜市を訪れたというのだが— ホラーは苦手です。でも、この作品は違っていました。ホラーというよりファンタジーな世界です。夜市では何でも欲しいものが手に入ります。ものだけでなく、才能や若さ、人間も取引されます。でも夜市に出かけた者は何かを買わない限り戻ってくるができません。買い物をしない限り朝はこない夜市は続きます。夜市には行けるのは3度までです。様々なルールがあります。夜市そのものがルールです。不思議な世界です。↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「生きることの意味」
父と兄に見守られて育った幼い日々は、学校に通うようになって、がらりと変った。小さな肩に背負いきれないほどのつらい出来事が彼を襲う。さまざまな衝突をくり返し、死を考える彼をささえたのは、人間のやさしさだった。戦時下の日本に生まれ、敗戦を迎えるまでの一在日朝鮮人少年のおいたちをたどりながら、人間が生きることの意味を考える。
幼年期、少年期についての著者の自画像であるとともに、父の伝記でもある。戦前に日本にわたってきた一世在日朝鮮人がどのように生きてきたかの記録である。
人との出会いのすべては生きる糧となるものです。出会が本当の出会いといえるにふさわしい出会いとなるには、なによりもまず、自分の人生をせいいっぱい生き、他人を、他の民族の人びとを、自分や自分の民族と同じように大切にすることです。人のやさしさをくみ上げ、出会いを新鮮なものにしてゆくことは自分自身を知ることでもあります。困難につきあたり、頭の中が悲しみや絶望でいっぱいになったときは、他人の目で悲しみや絶望を見ます。すると見えなかったものが見えてきます。生きる過程には多くの困難があり解決できないこともあります。でも、困難に向い精一杯生きることはできるのです。生きることの意味は、そんな自分自身から出発して、世界と自分自身をより深く理解しながら自分自身を発見していくことです。
父はこわい人でした。同時にやさしい人でした。頑固者で勤勉な働き者でした。なにより父は朝鮮人でした。過去の暗い時代の一人の朝鮮人として生き苦難を超え祖国を愛し広く人を愛し黙々と働いてきました。無名の父が残したものは歴史にあらわされた多くの作家や思想家や学者がのこしてくれたものと等しい重さでわたしを励まします。いかめしい父の姿に隠された、やさしさを理解するようになったのは生きることの意味を自分で探しはじめてからです。生きることの意味は、人のやさしさを探求する歩みでした。父のやさしさ、阪井石三先生のやさしさ。わたしに勇気と自信を与え奮いおこさせたのです。
先生の声は、わたしの中に生きているのです。「きん!てん!さん!」という声です。
それから「先生は、うれしいぞ」という声です。そしてまた「よく言った」という声です。
高い空を見上げたときです。わたしは、はっきり先生の声を聞きました。
「きん!どこを見ているんだ」
そしてわたしは、びっくりして答えたのでした。
「はい!」
でも、はい!と答えたとたん、わたしは急につきあがる悲しみに襲われてしまいました。わたしがどんなに大声で返事をしようとも、もうそれを聞いてくれる先生はいないのです。 ↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「たけくらべ」
〜たけくらべ〜
遊女となる運命の大黒屋の美登利、龍華寺の僧侶信如、質屋田中屋の一人息子正太郎が中心となり吉原裏の下谷龍泉寺町界隈の少年少女たちの思春期を物語ります。
吉原の遊郭は鳶の頭の子長吉を中心とした集団と金貸しの子正太郎を中心とした集団に分かれ対立、夏祭りの日、長吉ら横町組は、横町に住みながら表町組に入っている三五郎を正太郎の代わりに殴る蹴るの乱暴狼藉をはたらきます。これに怒った美登利に長吉は「何を女郎め頬桁たたく、姉の跡つぎの乞食め〜此方には龍華寺の藤本がついて居るぞ〜」と罵ります。
美登利と正太郎は子ども同士仲のよい友だちです。が信如は美登利という名を聞くたびに恐ろしく厭な気持ちになり、ものを問われる時など苦しく身の内に汗がながれます。美登利が親しく話かけても返事もせず、側へ行けば逃げる始末です。ある日、信如が美登利の家の前を通りかかったとき下駄の鼻緒が切れます。美登利は信如と気づかず近付くが気づくと恥じらい端切れを信如に向かって投げます。信如はこれを受け取らず去って行きます。
その後美登利は大島田に髪を結い簪をつけ京人形のように着飾ります。その日を境に様子が変わります。正太郎が遊びに誘っても「帰っておくれ」と外に出ず、「「大人になるのは厭なこと、何故このように年をばとる」と嘆きます。
霜の強い朝、水仙の作り花が窓に差し込まれます。これを見て美登利は信如を懐かしく思います。それは信如が僧侶になるべく学校発つ前日のことでした。
〜読み終え〜
一葉は物語にどんな思いをこめたのだろう?子どもから大人への境目のまもなく遊女となる美登利や僧侶となる身の信如に。恋いの思いさえ口にできない不器用な二人に。「大人になりたくない」と嘆く美登利に。容赦なく時間は流れ大人の都合で生き方を選ばなければならないものに。
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「たけくらべ」
樋口一葉は明治5年3月25日東京に生まれ、同29年11月23日死す。25歳の若さだった。
東京府の官吏だった父親が官を辞した後は、事業の失敗、長兄の死、父親の死、婚約破棄などの相次ぐ不運が一葉をおそい生活の苦労が絶えなかった。一葉が19歳で職業作家を志す理由もここにある。貧窮ため一旦文学から離れざるを得ず、商人として歩むという転換が皮肉にも表現への衝動をおさえ切れないものとし作家樋口一葉を誕生させた。代表作「たけくらべ」「にごりえ」を書き終えると肺結核で短い生涯を閉じた。その創作活動2年足らずである。
東京の内幸町に生まれた一葉は、本郷、下谷を転々としたが東京以外の土地は知らずに終わった。代表作は一時期を下谷竜泉寺寺町、本郷丸山福山町に住んだ一葉の愛着から生まれた。市井の生活を営んでいる人々を丹念に写し喜怒哀楽を表した。
〜にごりえ〜
本郷丸山福山町の菊の井のお力は此家の一枚看板である。
お力には、かつて馴染みの蒲団やの源七という客がいた。源七はお力に惚れ財産を失い、今は妻子と長屋住まい未だお力への未練を断ち切れずにいる。
一方、お力は客の結城朝之助をにくからず思っている。
源七は仕事もなく妻お初の内職で糊口をしのいでいる。そんな折、息子太吉がお力からと貰った菓子を持ち帰ってきたことが火だねとなり、ヒステリックに源七をなじる妻と諍い、妻子は出て行ってしまう。
魂祭り後、源七はお力を刃にかけ自らも切腹、命を絶った。
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「百言百話」
著者が感銘を受けた句のうち個性的で現代及び近未来の「明日への知恵」を探り求め得るべくものを選びコメントをエッセイ風に付したと後記にある。味わい深い百話である。
☆俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話が、お前がイモ食たって、俺のケツから屁が出るか。(映画「男はつらいよ」)
人間はどんなに親しくても、所詮は他人である事情を、これほど見事に言い当てた警句は他になかろう。人間の社会には暗黙の厳しいルールがあって、いかに親友でも控えるべき一線がある。ほとんど 無際限に頼る得るのは、恐らく生みの母親だけであろうが、それ以外の人物に対しては、常識の超えてはならない。たとえ親子で関係であっても、必ず守らなければならぬ礼儀が存する。
☆初心忘ルベカラズ(世阿弥「花鏡」)
「美しい芸はつねに(初心)の不安のもっとも鋭いときに生まれ、いいかえれば醜い不適応状態と背中あわせにこそうまれるのだといえる」。この機微に気付かずあるいは忘れた時、能に限らず人生のすべては下降線を辿るのである。
☆人は三ツの愛の中に生き、一ツの愛(さえも)無きに至って死す。(幸田露伴「ひとり言」)
いとけなきほどは、親の愛の中に養われて生く。父の力、母の情け、春の天の暖むるが如し、夏の地の蒸すが如く、弱き身を扶けられて、さてわずかに人となる。既に長じては、男は妻の愛の泉に涵され、苦しき世にも心の乾き枯れざるを得、女は夫の陰に擁かれて、たより無き身の生命安らかなるを得。又老いての後は子の愛を思いの綱として、これに牽かれて生く。親の愛、配偶の愛、子の愛、此の三つの愛あればこそ、人も生甲斐ありて、生き居りもするなれ。
社会の構成員がいかに富もうと、それぞれの人間の愛が濃くならずして何の喜びぞ。
☆老後は、若き時より月日の早きこと十倍なれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに日を暮らすべからず。(貝原益軒「養生訓」)
人間は短い寿命のうちに、悔いなく充実した生活と、生涯の主題を念ずる仕事を、可能な限り一段ずつ果たしてゆかねばらなぬ。若年と分別ざかり以後とでは条件が異なる。いたずらに無駄な抵抗を重ねず、「一日を十日と」する日ごとの努力が必要であろう。頼るべきは現在の自分のみである。無用の回り道をしている閑はない。人生にもっとも大切で不可欠なのは、目的地へ導く最短コースの発見である。人生が与えてくれる本当の喜び楽しみは、無為とは逆の心の張りのある忙しさ、困難な目的を明確に持ち続ける者にのみ、与えられる。 ↓ランキング参加中です。↓ポチで応援お願いします。


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「鹿男あをによし」
「あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」
「あをによし」とは和歌の枕詞ですよ。「たらちねの」なら「母」とくるように「あをによし」なら「奈良」と来るわけです。「青丹よし」で建物の青色と丹色(赤)の色づかいが鮮やかで都の眺めはグッドだなあという意味のようですよ。 大学の研究室に勤める主人公は突然教授に「君は神経衰弱だから」と二学期だけと高校の教師を命じられます。
不本意ながら奈良の女子高、奈良女学館に赴任した先生は下宿先のばあさん、孫の重さん、同僚教師の藤原君など親切な人々に迎えられますが生徒は思うに任せません。
登校初日から遅刻を注意した生徒に「駐禁をとられたんです」「駐禁?」「マイシカ」で登校してきました。きっぱりとした表情で言われ、面食らってしまいます。その後も「パンツ三枚千円なり」「靴下四足千円也」「鹿せんべい、そんなにうまいか」と自分の生活を見透かされ憤慨します。
奈良公園で鹿がゆっくり話しかけてきます
「さあ、神無月だ…出番だよ。先生」
「奈良の鹿、京都の狐、大阪の鼠……“鎮め”の役を任された者どもの名だ。」
「鼠から“目”を取り戻せ、先生。もう神無月の半分が過ぎようとしている。封印は確実に緩んできている。〜もし月を超えたら自ずと目の力は閉ざされる。そうなるとすべてが手遅れだ」奇しくも女学館三校のシンボルが鹿、狐、鼠です。
同じ時期に女学館ではオリンピック並に盛り上がるといわれる三校合同女学館対抗戦。「大和杯」を賭けた伝統の大会が行われます。剣道部の顧問となった先生は堀田の健闘で「大和杯」を勝ち取ることができます。
先生が初めて暮らすことになった奈良の様子が伸びやかに伝わってきます。生徒との紆余曲折の交流も楽しい作品でした。
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「海に帰る日」
人は人生の終焉にさしかかると忘れ難い思い出を蘇らせ、再び味わおうとするものなのだろうか。
生を終え立ち去るための最後の再生期間があるのだろうか。
「ひょっとすると、人生はそこから立ち去るための長い準備期間にすぎない」のだろうか。 50年後、老美術史研究家マックス・モーデンは、少年の日を過ごした海辺の町へ戻っきます。
最愛の妻アンナを病気で亡くした喪失感と死の記憶を抱え、人生に目覚めた場所にかえり自分の人生の記憶をたぐり寄せます。
マックスの脳裏によみがえるのは、この海辺で知りあったグレース一家のこと。ミセス・コンスタンス・グレースの柔らかにゆれる胸やちょっと太めだが形のいい脚に恋焦がれたこと。その一家と毎日のように行動するうちに少年の憧れは母親から娘クロエに移り芽生えた恋のこと。クロエが双子の弟マイルスと一緒に海に消えてしまった日のこと。そして、死病を宣告された妻アンナとの最後の日々。
これらの記憶が時空を超え鮮やかな思い出として反芻されます。
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「他諺の空似」
ふんふんと、読んで、あはははと笑ってしまった。随所にちりばめられたしもねた話は、何とも愉快です。冒頭の「医者の不養生」から始まり「鶏口となるも牛後となるなかれ」「甘い言葉には裏がある」などなど、まずは一読を、どんでん返しの可笑しさお面白さです。
国際政治やブッシュ大統領に対する批判、日本政府、小泉首相に対する憤りも辛らつだった。
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世界は「使われなかった人生」であふれている
自分にとっての「使われなかった人生」は何なのか。それを考えることは未来に向けての建設的な思考だと思う。「使われなかった人生」は人生を意識したとき自分の生を惜しむ気持ちが生じたときに存在するものだ。そして「使わなかった人生」は、後悔や追憶にふけるだけのものではなく使わなかったことに気がついた時点で使うことができるものだと思う。ならば、いくらか遅れたかも知れないが「お使いなさい」ということだ。
スクリーンの向こうには、未知の土地や街があり人がいる。そこにはさまざま出会いがある。映画を介して知らなければ永遠に知ることのできなかった世界が無数に点在している。
映画の始まりは、これから自分はどんな街に連れていかれ、どんな人と出会うことになるのか。どんな「旅」が始まるのか。そうした不安と期待にふるえる時間だ。終わりには、見慣れた町並みが新鮮な輝きで迎えてくれる。それは、見たばかりのスクリーンの向こうの街に、人に、物語に影響されているからだろう。そこには確かに旅してきた自分がいるからだ。
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「ある秘密」
両親の秘密を意識の内に感じながら口にできず孤独な日々を過ごしていたフィリップ少年。彼は15歳のある日、ナチスの非道を語るルイーズの言葉から周囲の人々が隠していた家族の秘密を知ることになります。兄がいたこと、理想的な夫婦と見られる両親には語ることのできない抜きがたい過去があることを知ります。
けれども彼は両親への愛ゆえに知り得たことを秘密にします。そして事実を突き止めます。それは
アンナとシモンが、ポーランドのアウシュヴィッツへ送られ、翌日、ガス室で殺害されるというものでした。長い間、罪悪感を胸に抱き生き続けてきた両親へ彼は語ります。「アンナとシモンの死に責任があるのは、憎悪に満ちた迫害者たちだけなんだ。」と。両親にとり、否、父にとって、フィリップは望まない子どもでした。が成長した彼は両親への深い愛を示します。彼らを受け入れることにより闇から開放します。そして、いまは亡きアンナとシモンへ懐かしを覚えるのでした。
仏政権下でのユダヤ人一家にもたらされた過酷な運命。普通の家庭に忍び込んだ陰。その悲しみを乗り越えていきようとする人々の姿は胸に迫るものがあります。静かな感動、余韻がのこります。
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この本はまだ読んだことはありませんが、人間力というものがあることだけは、確かだと思います。
その中でも、「可愛げ」というものは本当に大事です。そして、「可愛げ」というものは持って生まれたもの、ということも正しいのかもしれません。
しかし、同感したくはありません。人間にとって最高の頌辞になるものが天性のものだとするならば、神はあまりにも不公平でしょう。
応援させていただきました。
この「可愛げ」に対して、努力して人に肯定的に評価されることは「律儀」、「誠実」であるといいます。
が、「可愛げ」のある人は、どの社会でも絶対成功します。それは、人に好かれるので能力以上のことが可能になるからだといいます。
確かに、それを「不公平」ともいえますが、そもそも「公平」には生まれてないと「ふーこ」は思ってしまいます。
コメント、応援ありがとうございます。